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プロフィール

鍜冶修平

Author:鍜冶修平
PAT共育ゼミナールのブログへようこそ!
札幌市中央区にて2013年2月より皆様のサポートにより塾を開業することが出来ました。
対象は小学生から高校生の入試対策・受験指導。札幌の子供たちを鍛えていきたいと思っています。


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mytutor(PR)

ネットを利用した英会話
mytutor
子供向けの本格英語です。

DATE: CATEGORY:教える
各塾の広告を見ていると
入塾金というのをとるようです。
果たして、その根拠はなんなのでしょう?
事務手数料?
だとしたら、コンピューター入力のために、どれだけの人件費がかかっているの?
アウトソーシングすべきでしょう。
会員資格?
どれだけ高級なものなのでしょうか。

教材ならば、教材費でいただくわけですし、
何か納得のいく根拠が得られないなあと思います。

それぞれの塾さんの考えもあるのですが、何かきちんと理由付けが出来ないお金は頂戴できないし、
そんな時代でもないと思うのです。
ただになります。だから、いいでしょ。
という問題でもないと思います。
根拠がどこにあるのかという問題だし、
それじゃ、あらかじめ値札を高く張っているのといっしょでしょう。
割引率を大きくみせることで行政処分を受けたスーパーがどっかにあったような。それと、同じではないかな?

根拠がとか、いい始めたら学校の入学金だっ同様の気もしますが。

僕とこは入塾金なしなので余計に考えてしまう。

不思議です。納得してご納入いただいているにしても。払うことが普通であることは払う理由にならないと思うのです。


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DATE: CATEGORY:ブログ
今年の中3は例年通り、
約半数が地域のトップ5校までに合格しました。
合格おめでとう。

しかし、全員合格というのはむずかしい。
何名かの不合格者を出してしまいました。

残念だった。よく頑張った。そんな言葉では足りないよね。
あまり意味もない。
ただ、そのみんなの入試までのプロセスは胸を張っていい
と思います。

ただ、冷たいかもしれないが、その不合格という事実は、
ほかの誰でもなく、
自分で受け止めなければなりません。
ほかの誰にも責任転嫁はできないのです。
手助けはできるけど、
ほかならぬ自分の力でその事実を乗り越えるしかないのです。
何かが足りないから不合格になった。
それは努力かもしれないし、気持ちかもしれない。
でも、それは過去のこと。
心の傷になったかもしれない。
でも、強い気持ちで乗り越えて欲しい。

人生に無駄などない。この失敗は次に必ず生きる。
強さにつながる。
失敗するかもしれないと思ってチャレンジした子は
いないはず。
そのチャレンジは賞賛を与えられるべきだと僕は思う。

リスクはどんな時にも必ずある。失敗のリスクだけを考えて
チャレンジしないことのほうが後々後悔が残る。

今回、不合格になった子は受験したことに後悔だけはしていない
胸を張って、塾に来て、泣いた子もあった。
せんせい、ごめんね。と言った子もあった。

ぜんぜんごめんねじゃないよ。

誰も誰に対しても謝る必要なんてない。
これから、大きく壁を乗り越えていくのだから、
これから、強く失敗を乗り越えていくのだから、

顔を上げてください。

ただ、ちょっとだけ手助けはしていくからね。
それが、みんなを引っ張ってきた僕のやり方です。
やり方を変えはしないから。




DATE: CATEGORY:学ぶ
公立高校の発表も終わり、
喜びの声、喜びの声。
でも、僕は入試の終了というのはゴールではないと
思っています。

生徒たちが、受験勉強をした期間は1年くらい。
だから、残りの人生の方がはるかに長い。
これから起伏にとんだ人生を生徒の皆さんは送ることになります。

やはり、僕の中の基準としては、入試をゴールに決めさせたら
自分の仕事として負けだなと考えています。
その結果が、良いものであれ悪いものであれ、それがゴールならば、
その子の人生はそこで止まってしまう。
生徒の人生をサポートする立場のものとして、
そこで人生を止めてしまうのは仕事の失敗を意味する。と考えるのです。

スポーツなどと違い
成長や人生というののゴールは自分で決めるものだと僕は考えます。
だから、大学合格が、高校合格が、中学合格がゴールなんだと
自分で考えてしまえば、その瞬間にゴールです。
そこが最終到達点ならば、そこから先の人生って残りカスなの?
もっと人生って尊いものだと思うのです。
高校合格がゴールになる子もいれば、大学合格をそれに定めたり、
就職だったり、結婚?
僕はそれってなりたい自分になるための手段にすぎ無いと思うのです。
だから、顔を上げて前を向いて欲しい。

合格おめでとう!!
でも新しい人生の始まりに過ぎない。
不合格は残念だった!!
でもそれも新しい人生の始まりなのです。

通塾期間が長いと立て直しに時間がかかるなどと言いますが、
決して全てに当てはまる事例ではないと僕は思います。

むしろ、合格を目標に競走馬のように走らされてきているケース
全てを塾のお膳立て通り、これをしたら合格する。
絶対ヤレ!とレールを引かれてしまっているケースのほうが、
立て直しに時間が、、、半年から1年かかる気がします。
受験勉強を試行錯誤しながら、すすめた子の方が、合格不合格に
関わらず次の目標に向かって、手探りであったとしても
前に進める気がします。
統計的に測れるものではないので、感覚的であるのが、申し訳ないのですが

開放感を味わうのは悪いことではないし、次の目標に向かって
充電期間も必要なのですが、
2週間程度に留めて走り始めて欲しいなと思うのです。

勉強だけが重要なことではないのですが。。。


DATE: CATEGORY:ブログ
今日は進路の相談。どちらの高校がいいか?それはアドヴァイスはできるけど。誰にもわからない。
しっかり悩もう!



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DATE: CATEGORY:ブログ
朝からバタバタ。割りとうまくいった子も多かったけど。率は問題ではない。いや問題だけど、一人一人の合格が問題。
納得がいく受験をさせられたどうか。
今は、もう言葉もでないほど疲労困憊。。



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DATE: CATEGORY:ブログ
あすは北海道公立高校の
合格発表の日です。
2倍を超える高校は北海道の場合少なく、なかには1.1倍という
倍率の高校もあるので、比較的平穏な状況に
あると言えます。

しかし、それは数値としてのデータ。生身の人間として
悲劇は少なからず起こりうる。
1倍は合格し、30人は不合格になる。
純粋な確率論ならば、合格になるほうが普通なのですが、
相対評価の中では。。。

受験生はみんな努力しているはずなので、全員を合格にして
上げたいのは人情ですが、競争の中で勝負の中で、人間としての
強みを身につけるのもまた真理ですね。

全体の入試状況から考えると、札幌西は言われたほど倍率が
上がっていませんね。多分、昨年同様の点数でいけるかな。
あと、
最近、札幌南と札幌北の間は差がなくなってきている気がします。
今年の現役生におけるセンターの学校内平均点は札幌北>札幌南
だったそうですね。

教員のみなさんも大喜びだったとか。

僕はどちらかというと偏差値やレベルで志望校、受験校を選択させません。
足りないなら、うーんと努力すればいい。

むいていない学校で過ごす3年間と
楽しい高校で過ごす3年間。
自分の行きたい学校で過ごす3年間。
全ては生徒さんの選択。自分の将来の夢に一番近い経路を選択できる
学校を選択し、受験するべきだと思っています。
理想論でしかありませんが、

大切な3年間を後悔をさせたくはない。

だからこその進路指導であり、受験指導です。
後々まであの学校受けとけばよかったなとか。悲しすぎるでしょ。
だから、受けたい学校がある以上、最大限の努力を求めるし、
僕も努力します。

今晩は眠れるかな。
少なくとも僕は厳しいかも。

DATE: CATEGORY:共育
僕も会社員なので、上司からの評価からは免れません。
会社からの評価ということでもあります。しかし、僕はあまり気にしていません。あまり出世に興味がない。ということもありますが、一生現場の人間でいたいので。

と同時に評価というものはする人が変われば、評価自体も変わります。

評価は非常に多くの場合、相対的な部分、つまり、数値的に比較できる内容と、絶対的、つまり、プロセスなど数値に直接的に反映しない部分に別れます。このプロセスの部分については主観が入るので、人によって同じ人物を見ても評価は変わってしまう。ですから、評価の高い、低いはプロセスを見てもらう限り仕方ないのです。無理にゴマスリする力があるなら、その力を生徒の指導に振り分けたいとおもうのです。でも、会社に不満を述べる方は多いです。不満があるならやめれば、あるいは評価を高めればいいだけで、2個の選択です。

一方、相対評価の極みにあるのが入試。特に中学受験は一回の入試で全てが決します。そのことを批判するつもりはいっさいないですし、逆にそんな経験も子供にとっては成長のため必要かな。つぶれてしまっては何にもならないですが。
成果や実績は本番で冷たく評価されます。だからこそ、僕はプロセスを評価し、そのプロセスを成果へと結びつけてあげなくていけません。
中学高校と伸び続けて行くためには、プロセスの重要性とそれでモチベーションを維持させる、高めていく経験が必要ではないかと考えます。同じような成績層の中では成果が出にくくなりますから。相対評価のみの中だと一気に低空飛行と言うケースもありますので。
いよいよ、中学生は明日卒業式。明後日、公立高校の合格発表です。プロセスにたいする評価は上々。後は成果に結びついたか?
今から、毎年のことですが、自分のことのようにどきどきしています。



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DATE: CATEGORY:学ぶ
感覚的なものに過ぎないのですが、最近漢字のできん子が増えている気がします。
それで、練習させるのですが、
ひどい場合、仕事を5回書けというとイと5回書き、隣に士と5回書こうとします。
結局、仕事という意味のまとまりであることを十分認識させられていないのです。
ただ、漢字が十分に書けない子は多かれ少なかれこの傾向があるように感じます。ひらがな、カタカナの難しいバージョン。つまり、表音文字としてとらえる傾向が。
だから、お家で練習するときには、まず書くのではなく、意味を教え考えさせてから書かせるような習慣が必要だと思います。
練習の質が同じ時間における点数の差を当たり前のことながら生み出します。
この漢字練習の習慣は中学で英単語の練習に繋がります。英単語のよく書けない方も最近増えていますね。


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DATE: CATEGORY:ブログ
ブログをはじめて、10日余り、
駄文を読んでいただけてありがとうございます。

1日も欠かさず更新することが、3月中の目標です。

拙く、かつ不勉強な文は今後も垂れ流されると思いますが、お付き合いをよろしくお願いいたします。




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DATE: CATEGORY:学ぶ

多分、国語の指導者としての僕の
力量はあまり高くありません。
だから、余計に思うことなのですが、
国語の成績は個別指導が効率的にあげられるかな。

というのも、国語の点数が取れない子のできない要因のバリエーションの方が算数が出来ない子より豊富に思えるのです。

国語も算数。数学も果ては英語理科社会と中途半端にいろいろな科目を教えているせいかもしれませんが、
見ていると文章をとらえられない原因が、基本的な語彙力の不足だけではなく、文を一つのまとまりとしてとらえられない。
文字の集合体としてとらえてしまっているケースが散見されます。
結構高学年になってもそれをしている。
つまり、例えば今日という単語があれば、「今」があるよ、「日」があるよ。としてしまい、今日というまとまった単語としてみていない。

これは、単語の意味をしらないのとは別の次元の話。

国語としての根本に関わることのような。それはちょっとでもいいので音読させると明らかになりますが。
そのレベルだと、国語の文が何であるかというところから説明が必要です。

設問の読み取りにしても設問の意味がわからないのか、答え方がわからないのか。出題者の意図がわからないのか。わからないのレベルが個人毎にバラバラ。
一定レベルに到達している子の集団ならば、展開もまた違うのでしょうが、国語を集団で担当してなおかつ全員の成績を向上させ続けている方はほんとにすごいな。と思います。

僕は国語について子供らの課題が100人いたら100通りなので、個別に対応していかないと成績を上げられない。

もっと修行が必要だと思っています。

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DATE: CATEGORY:共育
教育評論家の方の本などを読むと
国語の力を伸ばすために、あるいは読解力をつけるために
読書をさせましょうとか
そのために読み聞かせをしましょう。
などと書いてあります。

でも、本自体嫌いな子はどうしたらいいのでしょう?
読み聞かせをじっと聞いていない子は?
気がついた時期が小5ならば、すべて手遅れなのでしょうか?
そこに向けてはなんの解答も用意されていません。

漫画でもいいとか。好きな分野の本をとか書かれているけれど
親にとって、何が好きな分野で、それについての良書とは?
よく売れている本だと聞き買ってみるものの何も使えない。
親の取るべき方法とかいいつつ、
一般論でしかなくて、
なるほどなと思いつつも、
実際に実行できなかったりとか。

何か僕にとってはすごく違和感があるのです。
以前から気になっていて考えてみていたのですが、
子供の考えや思いなど子供の立場が欠落しているように
思うのです。

確かに親が子供を導かなくてはいけない部分というのは
多いと思うのですが。相手がある、その考えがある。行動原理がある。
その尊重なくして、これをしたらいいよというアドヴァイスを聞いても
親の単なる自己満足なんじゃないのと思ってしまうのです。

一人一人を個別化してみていかないと、
100人の子供には100通りの行動が考えがあるはず。
子育てに一般論なんて通用しないのではないかと、
だから、毎日の授業なり会話なりに刺激があり、子供たちを
自分が育てている実感とともに自分が子供に成長させられて
いる実感があるのではないかと思うのです。

次、中3になる娘は読み聞かせを一切聞かない子でした。
読書量もさしたるものではないと思います。
現在、5科目の中では国語が一番良く出来ている。
素直に読み聞かせを聞いていた息子は、現在読むのは漫画のみ
国語の成績は0点をとったりします。

レアなケースかもしれませんが、実例があるのです。
親としてはあまりなにもしていませんね。
これまで教えてきた子でもものすごい読書量なのに
国語があまり出来ないという子はいくらでもいます。

国語の成績がいい子は読書量が多いかもしれない。
でも読書が好きな子の全てが国語ができるわけではない。
読書がキーならば全員国語の成績がよくてもいいはずですよね。

私は不思議でたまらない。
ここは、宿題に僕自身の宿題にしておきたいと思います。

DATE: CATEGORY:NFL
僕はギャンブルが好きではなく、特に競馬競輪は一切しません。麻雀は少し。
とりあえず、自分の選択を馬や他人の頑張りにゆだねるのはあまり気持ちのいいものではない。
ということです。

でも、ワクワク感が嫌いなわけではない。ワクワク感がどこに起因するかを考えると不確定要素に起因している気がします。
多分、アメリカンフットボールのパス攻撃が受けるのも、不確定要素がランよりも大きくなるからかな。

マニングやブリーズ、ブレイディがすごいのは特定の相手とのショートパスに不確定要素がほとんど入らないとこ。
全く持って、ワクワク感が乏しい。でも勝てるということはそういうことなのかなあと思います。

逆にペインターなんかは、ショートパスでもワクワク。
ティーボーなんか何してもワクワク。というより、二人はWAKWAKよりもドキドキに近い?



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DATE: CATEGORY:共育
最近、犬を飼おうかと思っています。
うさぎでもいいのですが。
理由は突き詰めてしまえば、死んでしまうから、
ネガティブ&逆説的なように聞こえますが、
本音です。

実家の母などは動物は死んでしまうので嫌だ。
といって、飼いません。
その喪失感に耐えられないと言います。

でも、うちの子供らにはその経験が必要に思います。
ある朝、いきなり昨日までぬくもりがあった自分に親しいものが
冷たくなっている。反応しない。
喪失感、悲しみを経験しておかないといけない気がします。
その経験が何をもたらすかは未知数なのですが、
その経験によっていのちの大切さを他の人に対する優しさを
学び取ることができないかなと期待しています。

先日、ベネッセさんの調査で親御さんの調査対象の約40%の方が
子供の独り立ちに不安を感じているという結果が出たそうです。
僕もその一人ではあります。

何をもって指針とすべきか、唯一絶対の価値が揺らいでいる。
これをすれば大丈夫ということがなくなり、親自身が拠、自信を
持てないということの裏返しなのかなと考えたりします。

勉強さえしていれば、大丈夫じゃないことは、最近のビジネス雑誌
なんかを見ても明らかで、求められている力が偏差値では計りきれない
モノになってきているように感じます。
むしろもっと人間としての基本に根ざした部分。
自主性や計画性、気遣い、行動力。
これらが小さい頃から身についていると偏差値もあがるのは自明です。
今そうでなくても将来的には、時期がくれば。しかし、
偏差値的に高い子の全てがこれらを身につけている訳ではない。

とすれば、親という教育者はいかにして生きる力により近い部分を
伸ばしてやれるかだと思うのです。

と同時に、いろんな経験を積ませる必要があるかなと思います。
喪失感を乗り越えられる。悲しみを乗り越えて次に向かっていく
それには当然助言も必要ですが、たくましさを身につけさせたいのです。

無論、ペットの死を願っているわけではありません。
愛情を注げる対象を作ることが子供にとって幸せなことに思うし、
人から愛情を注いでもらえることが幸せな動物たちもいると
思います。
結果、視野の広がりを期待できるかもしれません。

相変わらず、グタグタですみません。


DATE: CATEGORY:NFL
マニングのコルツからの退団が決まってしまった。
最近のニュースの中では、最も悲しい。
パテの入っていないハンバーガーが出てきた時くらいの衝撃。

ほんとに、マニング抜きのコルツなど僕にとって、麺の入っていないラーメンみたいなものです。
ぶっちゃけ、ありえない。
(娘の見ているまんがの影響です。)

衝撃の大きさが表現のくだらなさに出ているでしょうか。

なでしこの準V・ダルビッシュのオープン戦
初登板よりもマニングの再契約or解雇が僕にとっては重要でした。

これからのコルツがどんなラーメンを作りあげるかはわかりません。
ただ、ほとんどのメンバーがかわり、監督、コーチも総取っ替え、GMも変わりました。
多分、醤油豚骨から、あんかけ焼きそばに変わるほどの変化です。

それでも、ロイヤルブルー応援はやめませんけどね。

マニングがどこかと再契約したらそのチームのファンにはなるかな。



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DATE: CATEGORY:ブログ
昨日までの入試でピリピリというムードから
一転
今日は少しのんびりムード。

そんな中、中2は自習に来ている子も多かった。

月曜日に次は君らの番なんだぞ!

と発破をかけたせいからなのか、
中1も混じって自習室は結構盛況でございました。
確実に変化しつつある生徒もいます。

誰のためでもない、ご両親や僕に言われてする勉強なんて
長続きしませんし。

ただひたすら自分の夢を叶えるためのはじめの一歩。
始めなければ始まらないのが受験勉強。

みんなファイトだ。
DATE: CATEGORY:学ぶ
世の中で中学受験をする生徒さんは、
どのくらいいるでしょう。確かに首都圏には多い。関西圏も多い。
でも、全国的に見るとそれほど多いかずではないように思います。

しかし、本屋さんに行くと中学受験用の参考書ばかりが、
大量に並んでいます。
僕自身かなり深く関わってきていいるので、中学受験の問題の
難しさや面白さというのはわかるのですが、
あまりに、受験をしない大多数向けの参考書が少ないように
感じます。

ある意味、中学受験をする子は普通の内容は理解できていている
場合が多く、そのため基礎は一切カットできます。
普通の子やあまり得意ではない子がつまずくポイントを
省いても内容が成立してしまいます。
早くから取り組み、繰り返すことも大きなアドバンテージでも
ありますが。。。
ですから、参考書や問題集もつまずくポイントがわかりにくく、
教える方も教えられる方も危険の回避があまり上手くいかないよう
思うのです。それと将来の展開も見えにくい。

もっと、公立中学でのあるいは高校受験を意識しての内容が
あってもいいような気がします。
 
正直、小学校の内容や教科書テストがわかるだけでは
中学校に行って不十分ですね。
例えば、最近も取り上げた割合は中学では基礎知識として
方程式や連立方程式の利用に使用されます。
その時、0.01=1%が理解できているだけでは不十分。

やはり、濃度×食塩水=食塩を仕組みとして理解しておかないと
方程式の立式ができない。
式の立て方は教わるのですが、根本の部分が弱いので、
大の苦手の完成となってしまいます。
僕が方程式の応用や文字式の利用の前に割合・速さで復習の
補習を組むのもの前提としての割合の力を確認しておかなくては
いけないからです。

この点を系統だてて示す資料はあまりにも少ない。
あるにはありますが、教科書会社のものであったり、学習塾の
内部資料だったりするし、一般的には説明がされない。

参考書がないことも不思議なことなのですが、
算数・数学の学びゆくルートが示されないことも不思議なことです。

今僕が時間を見つけていしていることは、自分なりの生徒に与える
参考書を作ること。小中一貫6年分になるようなものにしたいです。

DATE: CATEGORY:学ぶ
数学については
若干、易しくなったという感想を持っています。

裁量問題がこんなもん?
という感じです。

特に立体が絡まなかったのは少し驚き。
どこかで見たことのあるような
あるいはよくやらせていたような問題が多かった印象です。

多分、証明は厳しい人が多かったのではないかと思います。
ただ、中点連結使うよねと気づけたらあとは時間がかからない。
比較的、学校でもよく取り上げているところですが
自分で線をひかせるタイプはちょっときつい。
あらかじめ引いてあることが多いので。

裁量では、ほぼ僕の予測したとおり、
① 整数・確率複合問題。2次関数もしくは2次方程式と絡むかな
と思って、前日も頭の体操風に解き方教えていた。
② 誘導が丁寧なので、弧と円周角の関係にはすぐに
気づけたかな。
③ 関数と図形。等積変形にはすぐ気づくのだけれど、どう使えばいいかは
練習量によるので、素直に方程式に落とし込んでやるほうが、
リスクが少ない可能性が高い。
かっこよく等積変形使いたかった人も多いかもしれないけど。

ただ、訳わかんない座標は(a,b)とおいて処理する。
徹底してきたことが実践で生きたかな?

多分、昨年に比べて、満点取る人は多いのではないかと思います。
あくまで、中学校の数学の範疇を超えるものではないから。
昨年までは発想を中学受験風に変える必要があったと思う
それに比較すると明らかに組みやすい。

6角形も面積を求める公式教えてあるので、行けるだろうし
角錐も正8角錘までなら、方法を教えてあるので、
なんとかなったと思う。

球と円錐の関係については「円柱にすっぽり収まる球と錘の体積比」が
円柱:球:円錐=3:2:1はやっていたのだけれど、覚えてないかな。
ちょっと悔しいかもしれない。

DATE: CATEGORY:共育
いずれ来る日に備えて
今日感じたことを書いてみます
未来への手紙です。

今日は本当にご苦労さんでした。
試験の出来はどうでしたか。
点数が思ったほど取れなかったことで不安に
なっている人いるでしょう。けれど、今はそれを考えても
仕方ありません。

いろいろな情報に振り回されて一喜一憂しても、君たちの
過去の行動に関係することであって、冷たいようですが
いまさらそれを変えることなんてできない。

そもそもその情報自体、何の根拠もない推測かもしれないのです。

現実的に考えて、厳しい現実が突きつけられる可能性も
大いにあります。
もし万が一厳しい現実が突きつけられたとしても、それは
自らの選択の結果だし、その現実から逃げてはいけないと僕は思います。

はじめにいうと合格が光に満ち溢れた未来を約束するものではないし、
不合格が暗黒の世界の始まりではありません。

不合格より合格の方がいいに決まっているのだけれど、
それより、入試という枠の中で成長できないことのほうが、
不幸なのです。
だから合格したとしても人間として成長できていなければ、
個人としての受験は100%成功とは言えない。

逆に、勝利よりも敗北から学び取るものが多い者こそが、
次のステージでは勝利手中にできるかもしれない。

合格・不合格の差はスタートラインの差でしかありません。
力いっぱいしてきての、悔いのない受験をしてきての合格あるいは
不合格ならば、それはどちらの場合であっても胸を張るべきなのです。

未だみなさんの人生は始まったばかりです。
高校入試の合格不合格で左右されるほどチンケなもの
ではありません。

合格は人生で経験したことがないほどの無常の喜びかもしれない
不合格は人生で経験したことのない不幸かもしれない。

でも、そんな喜びが小さいものと思えるほどの大きな喜びが、
不合格以上の苦しみが人生にはあるはず。
君たちの喜びも不幸もまだ始まったばかり
もっともっと辛いことがあるよ。
もっともっと嬉しいことがきっとある。

辛いことを乗り越えられる強さ。喜びを引き出す努力それを
学ぶための受験だったのです。

決して、結果のみ(それが良いものであれ、悪いものであれ)
に縛られるな。
人の生き方にひとつの近道も回り道もないよ。
そして、迷っても、僕は君たちにつきあうよ。
DATE: CATEGORY:学ぶ
書き込みが精神論ばかりな気がするので
ちょっと算数のことでも書いてみようかなと思います。

小5の割合、小6の速さともに苦手な子が多いのですが
多くの場合、根本原因は小3から小4にある気がします。
まあ遡れば小2なのですが、、、

全ては割り算についての誤解というか。うーん一面的な解釈に
原因があるように思います。

さて、割り算とはなんでしょう。

門外漢の僕で、専門的な教育を受けていないので、解釈的に
間違っていたら、ごめんなさいですが。

① 何かを同じだけ分けるときに使う。
  50個のアメを5人で分けるととか。。。

とても多くの場合、この考えが頭にこびりついて離れないくらいの
勢いです。
今僕が見ている子達もそう。
3年生でする割り算がこれです。

② その数の中にある数が何個入っているか調べるときに使う。
  50は5の何倍でしょうとか。。。

この考え方が十分に理解できていない。①は生活に結びついていて実践的なのですが
②は抽象概念になることがままある。
ゆえに、軽視しがちなのですが、小学生の後半は割り算といえば、②メインなのです。
例えば、倍数・約数。分数の計算。

飴玉を仲良く分けている場合ではなくなっていくのですが、
②の考え、使いこなしが十分でないため、
多くの小学生は5年生でつまづくかな。
実は教科書の中にも一定程度ヒントになる部分はあるのですが
見落としてしまっているような気がします。

だから、この点をみっちり学んでおけば、割合は
②の表現を変えたものだということが分かると思うのです。

もう一つは、表現法。
僕は説明するときに「ものさし」や「基準」という言葉を使います。

「元にする数」=「ものさし」「基準」です。
「比べる数」=「はかりたいもの」です。
「割合」=「個数」「何個」分です。

「はかりたいもの」に「ものさし」をあてたら「何個分」になるの?
  「その数」  に 「ある数」は    「何個」 入っていますか?

全く同じですよね。

 はかりたいもの÷ものさし=個数・○○倍
 比べる数  ÷ 元にする数=割合

実際には、3用法の問題などになるともう少しテクニックが必要なると思うの
ですが、その部分についてはまた後日。

ただ、この考え方を使うと第3用法も少しだけきちんと理解できるような気がします。


DATE: CATEGORY:共育
娘たちのなかで、一番学校の勉強を頑張る必要があるのは、3番目。
他にこれといって、将来の志望がない。
すると、一番手っ取り早いのは学校の勉強を頑張ることだと思うのです。
なぜかといいますと、僕自身、学校の勉強というのはよりよく生きるための一つの手段方法だと考えていて、その方法は全人類の数ほどあると思ってます。
その才能なり、志望なりが十分ではないとき、学校の勉強というのは道を切り開くために役にたつことが多いのです。学校の勉強だけできても幸せになれるわけではない。
だからといって、勉強にしなくていいということではありません。
勉強は人生をより豊かにするための手段のうちの一つ。しかも、一番身近ですので、するべきなのです。

だから、いい高校レベルの高い高校に入ろうねというのはあまりに短絡的で、そこでやりたいことがなければ、何にもならない。入ることが直接個人の幸福にはつながらんと思うのです。

ただ、自分の将来なりたい姿に最短距離で進める場所はあるわけで、そこは迷わず狙うべきです。
いよいよ明日本命の受験という人も多いかな。みんな気合い入れていきましょう。


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DATE: CATEGORY:ブログ
お昼はカレーうどん。
昨日のカレーの再利用。







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DATE: CATEGORY:NFL
僕としては、
3月6日入試日もドキドキなのですが、
同じくらいドキドキしているのが
3月の8日。
マニングが2012年コルツでプレーするかどうかの契約期限。

僕としては、契約して欲しいな。

コルツは弱小チームであると僕個人としては思っています。
ヘッドコーチの裁量があるいはオフェンスコーディネーターの裁量が
マニングという存在によって極端に小さい。
であれば、チームは強くなるわけない。
ゼネラルマネージャーさえ、マニングの意向で動いてしまう部分が
あるのだから、強くなりようがない。
トータルでパッツやジャイアンツに勝てるわけはない。
すべての選手がチームというシステムの部品であるチームは
勝ち星を重ねられる。
たとえば、49erズ何かは、QBがスミスでも、ヘッドコーチの
力量で勝手しまう。

確かに傑出した能力をもつ選手は数多く集まっているチームが
SB勝つけど。
一番重要なのはGMやHC、OC,DCだと思います。

なんかその現在のNFLの常識をものともしないのがマニング+コルツ
なので僕は面白いと思うのです。

マニングが一番力を出せるのがコルツだと思うのですが。
プレイングオフェンスコーディネーター(そんな肩書き無いけど)なんて存在を
許してくれるのはコルツだけだよねきっと。

すみません。
アメリカンフットボール知らない人には
なんの意味もありませんよね。
DATE: CATEGORY:教える
本日の授業をもって、みなさんの中3生としてのカリキュラムは
終了しました。

もう明後日には北海道の公立高校の受験です。
この記事は多分中3生のだれの目にも止まりません。

ブログをはじめたことも何も教えていないから。
いわば、出さない手紙を書くようなものです。
でも、いつか僕のブログを発見したら、あの時はああだったよね。
と思い出して笑えることもあるかな。
と思って記録に残しておきます。なんせ、忘れっぽいので僕は

この1年間よく頑張りました。
いろんなことがあったと思います。私立の受験のあとまで、勉強しない
とお母さんに怒られていた人もありました。
社会が覚えられなくて、もう諦めるよと弱音を吐いていた人もいました。
結局、きちんと覚えられて成績も上がって、よかったと心から安堵のため息を
ほかの先生らとつきました。
いろいろありすぎて、書き尽くすことなんかできない。

もうあとは、受験するだけです。
自分のことを信じて欲しい。自分のしてきたことを信じて欲しいと思います。
自ずと結果はついてきます。
ツライ受験勉強を耐えてきたのですから。
いろいろなものを少しずつ犠牲にしてきたのですから。
出る結果は必ず良いものであると信じています。

でも、結果にとらわれる必要は何もない。
良い結果が出ないからといって悲観する必要は何もないのです。
皆さんは、人生という道を今走ってっている最中で、その点では僕も同じですが、
入学試験というはそのラップでしかない。ラップで区間賞をとっても、
優勝できるとは限らないし、そもそも、自分なりの幸せをゴールと考えれば、
それも一人一人様々です。
大切なのは、その過程の中でどれほど納得がいく努力ができたかなのです。
受験というのは、結果を得ること以上にその中で成長していくという意味で
重要なのです。

受からなくてもいいという意味ではないよ。僕はみんなの合格を本当に心から
望んでいます。なぜなら、それは、みんなが心の底から望んでいることだから。
みんなの努力を知ってるつもりだしね。
ご褒美をもらっていいくらいの努力をしてきたのさ。

この1年、なかには小4から6年間お付き合いさせてもらった人もいるよね。
僕ができたのはゆるやかにみんなの背中を押すことだけだった。
みんなは自分で走ってきたのだ。
でも、高校の門を入試のためくぐったあとはもう背中を押してあげることは出来ない。
本当に自分の足で歩かないといけない。
不安に思うことは何もない。もう、その力は十分付いている。
歩き出せ!
自分の手で自分の夢を掴みとれ!
そこにいないけど、先生たちの気持ちは君たちとずっと一緒にある。
晴れやかな笑顔で、試験を終えて出て来いよ。

そして、お家に帰ったらお父さん、お母さん、支えてくれた保護者の方に
ありがとうって言って欲しい。
誰よりもみんなのことを考えてくれているのは、おうちの人だから。

DATE: CATEGORY:教える
僕の愚息は現在小6です。
学習面で若干ヤバイ。
ただ息子のみの現象ではなく、全体的に。
お預かりしてる生徒さんも昨年に比べて若干キツめ。

あくまでも、学校がうんぬんという批判ではなく、昨年も今も学校の先生は
とっても頑張っていらっしゃいます。また、個人の能力が下がっているということではなく
小4からのカリキュラムにちょっと無理があった感じなのです。

今の小6生が小5の頃、その当時の小6と同じ内容を小学校で学習していました。
小4の頃は分厚い補助教材があり、とにかくたくさん勉強していましたね。

その様子をなんとか乗り切れていると判断している保護者の方は多かったし、
僕自身もなんとかなっていると最近まで思っていました。

しかし、本当はそんなことなかった。。。

小4・小5の内容をかなりの比率で忘れているのです。

例えば、概数=小4内容ですが、クラスで何人もの生徒が忘れています。
これは、小学校の参観で感じたこと。
割合もどっちがもとにする数だっけ、みたいな感じになっています。

思えば、小5でカリキュラムが分厚くなったときでも、
学校の時間数はそれほど増えていない。
つまり、ひとつの単元にかける時間数が少なくなっているはずなのです。
なんとかなっているような気がしていたのは、
完全に僕の思い込みでしかなかったのです。

一部の小学校では、3ヶ月分カリキュラムが遅れているところ
がありました。
確実に積み残しがあるはず。ゆとりの時代でさえ、
遅れ気味で割合にほとんど時間がかけられない小学校があったのです。

このまま行くと、中学校での学力差が今年の中1よりも確実に開きそう。
それって、誰にとってもいいことではない。

先生がまず大変。出来る子は不満が残るし、できない子も授業が面白くない。
親だって。。。

せっかく希望に満ちたはずの中学校生活が
ストレスの高いものになるのはせつなすぎる。

とにかく、まず愚息をなんとかし、機会があればその友人も。
無論、お預かりしている生徒さんは春から5月にかけて割合の特訓を
補習でおこないます。
プロとして塾に通って、わからないは悔しすぎる。
出来ることは多くないけど、それは何もしないことの理由にはならんですよ。
子供らの幸せのために傍観者であることは大人として
許されることではないのだ。
DATE: CATEGORY:教える
最近、古い本なのですが、「伝える技術わからせる技術」というのを読んでおります。そこでさらに思いを強めた部分。僕ら塾の先生にとって、必要なものを上から順に3個挙げろと言われれば、僕は
①観察力
②表現力
③教務力
になると思っています。
どれだけの知識を持っていても、その子に一番よう伝わる方法を使わないと成績は伸びない。
そのためにはその子のことを観察して、どんな個性なのかつかまないといけない。
いろいろな子供たちがいて、志向も方向性も違うのだから、伸びる方法もさまざまなはず、俺はこう教えるから、お前ら俺に合わせろ!確かに必要な場面もあるかもしれないけど。子供の個性をつかんだ上のことだと、僕は思う。なんか傲慢過ぎるような気がして。。。できんな。カリスマになることはできません。

なんか、ぐたぐたで申し訳ない!



Android携帯からの投稿
DATE: CATEGORY:共育
僕の仕事はよく教育産業とか教育サービス業とか言われるのですが、
この「教育」という言葉があまり好きではなくて、

やって、教えて育てられるほど自分も立派ではないし。
むしろ、生徒さんから僕も学び育てられている部分も多いと思うのです。

だから、共に育って行きましょうよ。
お父さん・お母さん・保護者の方と一緒に育てていきましょうよ。
という意味で「共育」という言葉をよく使います。

人生のちょっとだけ先輩として、知っていることあるから、
その知識をシェアしましょう。
その代わり、僕にもいろいろな発見や経験をさせてください。
というのがスタンスです。

僕らの業界では、このような教え方が正しい。とか、教え方について
延々と議論が続いたりします。
その中にひとり一人の生徒の幸せという観点が欠落していることがおおいように思えます。
そう教えたら、先生としては満足感が得られる。
でも、生徒はそうじゃないかも。
自己否定ぽく聞こえるけど、教えないのが一番いい。
自分で勝手に好きなことを勉強して、自分のなりたいものになるのが
理想形だと思うのです。
むしろ、そこに到達させてあげるために、僕らは知恵を絞るべきなんじゃ
ないかなーと思ったりします。

ある意味では頼りないと思うのですが、教える・育つ・育てるということは
その対象があって初めて成立すると思うのです。
だから、その対象を認めるところからしか始まりません。

先生は偉くない。生徒がいるから先生でいられる。
教えるのが好き。生徒さんがいてくれるからこそ、教えられる。
いま、生徒の皆さんが居てくれていることに、
僕はまず素直に感謝したいです。
DATE: CATEGORY:ブログ
本日から記録していこうと思います。
何といっても3月1日。自分の業界では今日が新学期なのです。

最近、気づいたのは情報を何らか発信することには
勉強が必要だということ。
自分をより成長させるためには、
発信が必要。

というところでしょうか。

日記なので、主に、自分の分野である教育や家族のことなどを中心に
発信していければいいな
と思っています。

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